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「Days of '49」もしくは「インカ帝国の成立」(昼飯の前に) [雑感]

つボイノリオチルドレンの一人は蘇部健一ではないか。
そんなことを考えていたとき、あるメロディが頭をよぎる。

歌詞がどんなに「下品」でも、もしそれで笑ってしまったところを人に見つかったら風評において再起不能のダメージを負うとしても、つボイノリオの歌にはなおスタイル(品格)がある。聴き手の心の底で感興を呼び起こす過激さと崇高さが共存している。それは民衆の心象風景に直接響く彼の作るメロディ。そしてふざけているようであっても決して手を抜くことはない、パフォーミングアートとしての妥協のなさ真摯さによるものではないか。それは例えばディランとも通じるところがるのではないか。例えばディランの「Days of '49」(「Self Portrait」アルバム (1970)収録)とつボイの「インカ帝国の成立」を聞いてみよう。「Days of '49」はYoutubeに投稿されたカバーの演奏で聞く。(注:周囲に人がいるならヘッドフォンで聴いてほしい。私は確かに注をつけました)。
 
 「インカ帝国の成立」を聴く上での参考ページ ("Manco Cápac" (Wikipedia(en))。しかしこの人物を知った時(1970年代か)のつボイ氏の驚嘆を想像するとおかしい。

(追記) ひさしくクレジットを確認していないので記憶が怪しくなっていた。上では、"Days of '49" の作者はディランとしてしまったが、「セルフ・ポートレート」でのディラン演奏もカバーだったようだ。民衆歌謡の影響が顕著に(あるいは意識的に)現れた(表わした)ディラン作品という印象を持っていたため、上のような説明を与えてしまった。Wikipediaには作者は「Alan Lomax, John Lomax, Frank Warner」とある。であれば www.bobdylan.com に歌詞が掲載されていないのも道理である。しかしこの項は、つボイの民衆の心に響くメロディメイカーとしての資質と、パフォーマーとしてのつボイの妥協のなさがディランのそれを思い起こさせるということが主旨であるから、追記を付記した形で残しておくことにする。
 しかし、ほんの一週間ほどで戻る予定だが、もしこの項目がこのブログの最後の記事になったとしたら、いやはやなんとも(≒「やれやれ」)である。
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